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岐阜地方裁判所 昭和45年(わ)244号 判決

被告人 福永健一

昭二一・六・二〇生 飲食店手伝

主文

被告人を懲役三年六月に処する。

未決勾留日数中一六〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は本籍地の上村中学校を卒業し、大阪府のタイヤ製造会社に就職し、約一〇ヶ月間勤務した後、東京都に出、ステンレス販売店外交員、土工、バーテン、パチンコ店店員等の職を経、その後岐阜県多治見市、同県恵那市に移り、パチンコ店店員をしていたが、昭和四四年四月に暴力団瀬戸一家の恵那市における組織である奥山組に加入した後は、同組の使い走りや、同組員の経営する飲食店の手伝い等をしていた。

被告人は同四五年八月二五日午後八時ころより同市内の飲食店「喜楽」、「水弘」の二店で飲酒した後、午後一一時前ころ閉店間際のキヤバレー「都」に赴き、同所でホステス甲野乙子(昭和八年一二月八日生)等を相手にビールを飲んだが、同店を出る際、右甲野に閉店後スナツク「小鳩」に来る様誘い、同日午後一一時三〇分ころ、同スナツクで同女と一緒になり、同女はジユースを、自分はビールを飲んでから近くの同女のアパートへ送って行くことになり、明くる二六日午前〇時過ぎころ、共に同スナツクを出て、同市大井町八六番地の二伊藤美好方前付近路上に至つたところ、その際酒の勢いも手伝い、人通りの少ないのに乗じて同女に接吻しようと企て、同女の前面からいきなり抱きつく暴行を加え、その反抗を抑圧して同女の唇に自己の唇を合わせ猥褻の行為をしたが、同女がこれに対抗して被告人の下唇を強く噛んで出血させたため痛く憤慨し、同所において同女の顔面、頭部を手拳で殴り、履いていた靴(昭和四五年押第六五号の三)で蹴り上げ、更に同女の着用していたガードルに手をかけて引き下げようとしたうえ、同所より同町八七番地古山夏方前路上まで約一一メートル倒れた同女の両脚を持つて、引き摺つて行き、同所で同女の顔面を殴打する等の暴行を加えたが、このころ同女を強いて姦淫しようとの意思を生じ、右古山方の雨樋に必死に掴まつている同女の脇の下を背後から抱きかかえ、同所より更に二一メートル北方の地点で数メートル西方に引込んだ同町一〇一番地林すへ方建築工事現場まで同女を引張つて行き、右工事現場で横たえてあつた建築工事用パネルの上に同女を仰向けに押し倒してその上に馬乗りとなり、同女の着用していたパンテイーを膝の上あたりまで引き下げる等の暴行を加えて反抗を抑圧し、強いて姦淫しようとしたが、同日午前〇時三七分、近隣の人の通報によりかけつけた警察官に現行犯人として同所で逮捕されたため、姦淫の目的を遂げなかつたが、前記の暴行(姦淫行為着手時点の前後いずれのものかは不明)により同女に対し、入院加療約二六日間、通院加療約九日間、全治まで約二ヶ月間を要した右後耳部裂創、顔面挫創、四肢擦過傷、頭部挫創兼頭蓋内出血の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は包括して刑法一八一条(一七六条前段、一七九条、一七七条前段)に該当するが、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち一六〇日を右の刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(擬律および訴因に関する補足説明)

一、検察官は、起訴状の公訴事実として、本件において被告人に当初から強姦の犯意があつたとする趣旨の強姦致傷の訴因および罰条(刑法一八一条、一七七条)を掲げていたが、第三回公判期日において択一的に強制猥褻致傷の訴因および罰条(刑法一八一条、一七六条前段)の追加請求をなし、これが許可された。弁護人は同公判期日において本件は強制猥褻、傷害、強姦未遂の三罪にあたると弁論した。

二、擬律の点に関する当裁判所の判断は次のとおりである。

1  被告人が被害者甲野に前記伊藤美好方前付近路上でいきなり接吻行為に及んだ時点およびそれ以前においては被告人に強姦の犯意があつたと認めるに足りる証拠はない。

この点は被告人が捜査段階―公判廷を通じて一貫して供述するところであつて、被害者の甲野も、同所に至るまでに被告人に怪しい気配は感じておらず(同女に対する証人尋問調書、記録一五二丁表)、接吻時に強姦の意図を感じたとする同女の供述の部分(同、記録一五五丁裏)は、前後の状況からして必らずしも措信することができないものである。なお、同所に至る前の時期に、被告人と甲野の両名がタクシーの営業所に赴いた事実が認められるが、これも甲野の側で酩酊している被告人の安全を顧慮して立寄つたものであつて、空タクシーがなかつたため引き返した事実が認められ、何等他意はないものと認められる(同、記録一四〇丁表)。

2  しかし、被告人の右接吻行為が甲野の意思に反してなされた猥褻の行為であることは明瞭で、右所為が一応、強制猥褻罪(刑法一七六条前段)に当ることについては贅言を要しない。そして同女の受けた前認定の各傷害のうち一つ以上が、右の接吻行為の直後甲野に下唇を強く噛まれたため、憤慨して同女に対し殴る、蹴る等するに至つた被告人の暴行に起因し、且つ、当該暴行と各傷害との対応関係が明らかであれば、被告人の右の所為は強制猥褻致傷罪(刑法一八一条、一七六条前段)に該当すべきものである。なお、被告人の右の暴行が上記のような動機に基くものとしても、甲野が被告人の下唇を噛んだのは強制猥褻行為に対する反撃行為と目するのが至当で、被告人の右の暴行は強制猥褻行為に随伴してなされたものと認めることができる。

3  被告人が前記林すへ方工事現場で甲野を仰向けに倒し、その上に馬乗りとなつた行為について、これが強姦の意図をもつてなされたことは、被告人の検察官に対する昭和四五年八月二七日付供述調書においてこれを否認する以外、被告人の一貫して認めるところであり、甲野に対する証人尋問調書、現行犯人逮捕手続書はいずれもその補強証拠となるものである。そして右強姦の目的は、被告人が現行犯として逮捕されるという外部的障碍によって遂げられずに終つたものであるから、一応強姦未遂罪(刑法一七九条、一七七条前段)の成立を肯定することができる。そして同女の受けた前認定の各傷害のうちの一つ以上が、右強姦未遂行為の着手時点以降における被告人の暴行に起因し、且つ当該暴行と各傷害との対応関係が明らかであれば、被告人の右の所為は強姦致傷罪(刑法一八一条、一七九条、一七七条前段)に該当すべきものである。

4  当裁判所は上記のとおり被告人に強姦の犯意が生じ、その実行行為に着手したのは、被告人が前記古山夏方の雨樋に必死に掴まる甲野を引き離して、前記工事現場へ引つ張つて行こうとした時点においてであると認めるものである。被告人に当初から強姦の目的が存しなかつたことは先に見たとおりであるし、前記伊藤美好方前路上で被告人が甲野を殴つたり、蹴つたりした際、甲野のガードルに手をかけた事実が認められるが、その行なわれた場所が四ツ辻に近接した路上であることを考えれば、これをもつて直ちに強姦の犯意の現れとは目しがたい。

5 ところで、被害者甲野に生じた前認定の各傷害は、いずれをとつても、右強姦行為の着手時点前に甲野に対して加えられた暴行に因るものであるか、あるいはその時点以後に加えられた暴行に因るものであるか、即ち、その対応関係は本件の関係証拠全部に照らしてもなお不分明である。一例を挙げれば、最も重い負傷である頭蓋内出血は前記伊藤美好前付近路上で被告人が同女の頭部を蹴り上げた時に生じた蓋然性が高いが、また前記林すへ方建築工事現場のパネル上に同女を仰向けに押し倒した時に生じた蓋然性も存するのである。

6 思うに強制猥褻と強姦未遂とはかつて連続犯の成立が認められたように、罪質、被害法益を共通にするものである。本件のように、これらとそれに随伴してなされた傷害行為とが、その被害者を同一にして、場所的、時間的に近接し、且つ連続してなされた場合であつて、その傷害の発生が強姦の着手時点の前後いずれの暴行に因つて生じたか不明な場合には、弁護人主張の如く、右三罪の併合罪の成立、あるいは検察官主張の如く、強姦致傷が強制猥褻を、または強制猥褻致傷が強姦未遂を吸収して一罪になると見るべきでなく、強制猥褻および強姦未遂の包括一罪の結果として刑法一八一条の致傷罪の構成要件に一回(当初から強姦の犯意が存した場合との権衡上)該当する犯罪が行なわれたものと見るべきであると考える。

三、右の様に解しても訴因・罰条制度に違反することにはならない。

検察官の示した当初の訴因と択一的訴因の関係を考えるのに、両者は強姦の犯意の有無のみが異なる丈で、具体的な事実関係は大略同一である。当裁判所の認定にかかる「罪となるべき事実」も当初の訴因の記載より強姦の犯意を最初の暴行の時点より後にずらせた丈である(事実に関しては形式上、択一的訴因を排斥することになる)。罰条についても同一の刑法一八一条を結局のところ適用し、単にその内容の説明に過ぎず、従つて本来適用を要しない引用規定を検察官の示したものと若干異ならしめた程度に止まるものである。法令の適用は訴因の範囲内では裁判所の専権に属するものであつて、右の如き法令適用上の差異をもつて検察官の処罰意図に反し、訴因制度を逸脱するものとは思われない。

他方、当裁判所の事実認定は大略、被告人の弁解に副うものであつて、法律的、罪数的評価がその主張と若干異なるとしても被告人や弁護人の防禦権を何ら侵害する程度のものではないと信ずる。

よつて主文のとおり判決する。

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